はじめまして、ケイです。
ここでは僕の自己紹介をしたいと思います。
僕の現在やっていることは、
- カメラの国内転売&ebayでの輸出
- カメラ転売のブログ、YouTubeの運営
- カメラ転売の教材作成&指導
…などです。
カメラ転売の事業だけで、
毎月30万円ほどの利益を出しています。
中でも得意なのが「フィルムカメラ」の転売です。
僕が思うに、個人でできる物販ビジネスで
最強クラスなのが「中古カメラの販売」です。
もしあなたが、1人で黙々と、
月30-100万円を稼ぎたいのなら、
僕は迷わず「中古カメラ転売」をお勧めします。
とビジネスの話は置いておいて、
まず初めに僕の人となりを書いていきます。
では、始めていきます。
28歳までの僕の特徴を挙げてみますと…
- 中学校のいじめが原因でコミュ障に
- 20代後半までほとんど女子と会話したことがない
- 「学歴こそ至高」と考えていたため多浪生に
- 5年間のニート生活
- 「モンハン2ndG」を朝から晩までやる日々を送る
- 昼夜逆転の生活で、体重は20kg増量
- 学生時代の友人も0になる
- 焦るが、何か経験を積むために冒険する勇気もない
- ADHDなので、ケアレスミスが多い
- 社会で生きていく自信がない…
といった感じ。
年代別に振り返ると、
- 小学校時代→わりとなんでもできる、体が大きい、運動もそこそこ、自信ある
- 中学校時代→ヤンキーに目をつけられてプチいじめにあう、運動でも目立たなくなる、勉強だけがよりどころ
- 高校時代→勉強もついに凡人レベルに、それを認められず、3浪くらいする
- ニート時代→どうやって生きたらいいかわからず、ゲーム漬けの日々
- フリーター時代→なんとか社会復帰するも、経済的にはキツい。
- 独立後→カメラ転売に出会い、なんとか経済的に独立を果たす
って感じです。
小学校時代は
わりとなんでもこなせたので
「俺ってけっこうスゴいやつ?」
みたいな万能感があったんですが、
中学になって周りのみんなが成長するにつれ、
徐々に追い抜かされていったような感じです。
どんどん同級生に
追い抜かれ落ちぶれていく現状を前に、
「あれ、俺ってもしかして凡人だったの?」
とちょっとした挫折感を味わいました。
理想の自己イメージと現実のギャップに悩むことが多く
あまり幸福とは言えない10、20代でした。
そのせいか、30を超えた今でも、
「チクショー!いつかはみんなを見返してやる!」
みたいな鬱屈した思いがあることは確かです。
でも20代までに抱えていた
- 優秀でなくてはいけないという焦り
- コミュニケーションの不安
- キャリアの不安
- 就職の不安
みたいなものはほとんど消え去りました。
そして今はとにかく
成功へ向けてひたすら行動し続けている感じです。
いい意味で、
コンプレックスがバネとして機能している感じです。
今回は、そこにいたるまでの話を書いていきます。
生い立ち
幼少期は
落ち着きがない子供だったらしいです。
目を離すとすぐにいなくなるので、
デパートの「迷子放送」の常連でした。
ADHDの気があったため、
落ち着いて作業するのが苦手でした。
僕はまったく覚えていないのですが、
小学校1年生の頃は、授業中に出歩ってばかりいたそうです。
しかも上履きを脱いで、
裸足になるという謎の野生児ぶり…。
母親によると、当時の担任の先生に
「なにひとつちゃんとできませんね、この子は」
みたいなことを言われたそうです。
まがりなりにも自分の子供に
マイナスなことしか言わない先生に
母親は腹が立ったみたいです。
自分で言うのもなんですが
勉強や運動は人並み以上にできました。
授業中も、
バンバン手を上げて発表する積極的な生徒でした。
自分の意見を述べることが好きで、
目立つことが好きでした。
リーダー研修会へ参加したり、
こども議会に出席して、意見発表をしたり、
かなり精力的に活動していました。
自分で言うのもなんですが、
「俺ってなんでもできるぜ!」
みたいな万能感がまだこの頃はあったんですよね。
ところが、中高に進むにつれ、
その「万能感」と「積極性」は影を潜めていくことになります…
中学校時代から雲行きがあやしくなる…
この頃から、
女子に対して苦手意識を持つようになりました。
急に女子を意識し出して
上手く喋れなくなってしまい、
一気にカーストダウン。
中学校になると女子と喋れないやつって、
「イケてない奴」認定されますよね。
(もちろん中高と彼女がいたことはありません…)
同じサッカー部の「マイルドヤンキー予備軍」から、
だんだんといやがらせを受けるようになっていきます。
つねられたり、肩パンされたり、
馬鹿にされたりするようになりました。
高校時代|歩く会
高校は、県内で2番目くらいの
いわゆる”進学校”に合格しました。
ここでもリア充のノリについていけない。
すごく失礼な言い方をすると、
一番カーストの低い地味なオタクと絡むだけ。
高校3年の夏に、
何十キロも歩く遠足みたいなイベント
いわゆる「歩く会」みたいのがあったんですが、
これはほんとに地獄でした。苦笑
何十キロを一人で歩く屈辱は忘れられないです。
当時入っていたバレーボール部は、
運動することでなんとか自分を表現できたので、
それなりに充実した時間を過ごせました。
ただやっぱり「ノリの悪さ」は払拭できず、
チームメイトとも最後まで壁があったように思います。
「変わらなきゃ」、「殻を破らなきゃ」と思う反面、
心のどこかで「自分は特別な人間だから、孤独になるんだ」
とナルシズムに近い考えがありました。
だいぶこじらせてます。苦笑
でも、こんな歪んだ考え方は、
ずっと20代中盤まで続くことになります。
無謀な挑戦
そんなこんなで高校3年になり、
受験勉強を開始しました。
そこで、私は何を思ったのか、
いきなり旧帝大を目指し始めました。
溜め込んできたコンプレックスや”思い”みたいなものを解消するには
もう有名大学に入るしかないと思っていたんですね。
「自分はもっとすごいやつなんだ」
ってことを証明したい。
そんな野心がありました。
それに中学校までは
わりと勉強ができていたので、
自分のポテンシャルには
けっこう自信があったんです。
ところが、
成績がなかなか上がらない。
自分なりにはがんばってるつもりでも
結果が伴わない。
ここで僕は自分の頭脳の限界にぶち当たります。
けっきょく「あれやこれやと参考書に手を出して終わる」という、
典型的な失敗パターンで現役が終わってしまいました。
予備校も、夏期講習あたりまでは
1日10時間くらいガムシャラにやっていたと思います。
その「量だけをこなそうとするスタイル」が
間違っていることに当時の自分は気づきませんでした。
案の定、また思ったように成績が伸びず、
やる気を失ってしまい、秋頃から不登校に…。
それでもレベルを下げて、
なんとか大学だけは入ればよかったんですよね。
でも「それでは自分はただの凡人になってしまう」
と思った僕は、さらに2浪することに。
2浪目が一番キツかった
いまでも、あの光景は忘れられません。
教室にはもう去年のメンツは誰もいなくなっていました。
隅っこの方に、見覚えのある一人の男子学生が一人で黙々と勉強していました。
どうやら噂によるとその子は医学部を目指すため、2浪したみたいでした。
でも全然、面識ないし、なんだか話しかけづらい感じでした。
とにかくこの時期は、孤独感がハンパなかったです。
「自分だけ同世代に取り残された…」
みたいな感覚がありました。
当然ですが、ひとつ年下の全然見慣れない生徒達と一緒に授業を受けることになりました。
1浪目の後半で、すでに不登校になっていた僕でしたが、
さすがに2年目の授業料もすでに親に出してもらっているので、
再びガムシャラスタイルの勉強を始めました。
5年間のニート生活
けっきょく2回目もガムシャラスタイルを改めなかったので、
まったく成長が見られず、2ヶ月も立たないうちにまた不登校になりました。
「リフレッシュ期間が必要だ」と称して、家でずっとゲームをやる日々。
本気で「お先真っ暗」だと思ってました。
このまま活路を見出すことができないまま、
一生を生きていくことになるんだと思い込んでいました。
最近、ニュースで31歳の無職の男が、
幼稚園に刃物を持って、
うろうろしているところを男性職員に取り押さえられる事件がありました。
(ちょうど私の一個下です)
彼も私と同じく、5年ほどひきこもり生活を続けていたそうです。
まさか人を殺すとか、子供を襲うとか、
そういった発想にはならなかったとは思いますが、
彼の孤独感や、やりきれない思いは少しわかる気がします。
(もちろん彼が行ったことは絶対に許されないですが)
話を戻すと、私はその時ずっとあるゲームをやっていました。
そのゲームとは「モンスターハンター2ndG」です。
マジで寝る時以外はずっとやっていた気がします。
トータルでモンハンシリーズは5000時間はやっていたと思います。
まじでクソとしかいいようのない生活ですよね…。苦笑
ずっとモンスターを狩って、
疲れて集中力がなくなりプレーが冴えなくなってきたら、また寝る生活。
ゲームに飽きたら、海外ドラマとかも観てましたね。
「ドクターハウス」「クリミナルマインド」「スーパーナチュラル」「バーンノーティス」…etc。
とにかく大量の海外ドラマを見漁ってました。
もともと洋画が好きで、その流れで海外ドラマにハマりました。
(この時の英語圏に対するポジティブなイメージが、
後のTOEICの勉強に繋がります)
一応、家事として、掃除、皿洗い、洗濯はやっていたんですが、
ときどき無性に泣きたくなるんですよね。(笑)
同級生は、今頃「大学に行って、バイトして、恋人を作っている」というのに、自分は実家でモンハンやりながら、皿洗い。
自業自得なんですが、情けなくて一人むせび泣く日もありました。
朝(厳密には昼夜逆転なので、夕方)、目が覚めるたびに、「自分はひょっとして別人の人生を送っているんじゃないか?」とふと思うんですよね。
だんだんと現実感が希薄になってきて、
「これは悪い夢なんだ」って思えてくる。
かなりメンタルを病んでいたと思います。
当時の私にとって、
「有名大学に行けなかった人=一生つまらない凡人」
というイメージしかなく、
「自分は人より優れていないといけない」という気持ちが強かった私は、
「そんな凡人ルートを歩むくらいなら、
なにか活路を見出せるまで、引きこもったるわ!」と考えました。
親にしてみたらいい迷惑だったと思います…苦笑。
そこから、「ゲーム→家事→寝る」
そんな生活が5年間続くことになります。
何も成長がなく、刺激もない、
時間だけが、ただ過ぎるだけの毎日。
マジで一年があっという間でした。
体感3ヶ月間くらい。(笑)
完全に時間感覚がおかしくなって、
自分の年齢も曖昧になって、
社会から隔絶されている感覚がありました。
まるで自分だけ、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」にいるような感じです。
ニート、ついにバイトを始める
そんな生活の5年目に、
父親が知人の家庭教師をやってみないかと言い出しました。
「あかんこいつもうムリや」
と思ったんでしょうね。
見かねて助け舟を出してくれました。
コミュ障を発症しており、
対人コミュニケーションに不安があったので、
めちゃくちゃ躊躇しました。
でも、もういい加減ニート生活にもうんざりしていたので、
「精神と時の部屋」から出ることに。
教えることになったのは、
上が高校2年生、下が中学校3年生、
さらに下が小学校5年生の3姉妹。
まるでラノベみたいな話ですが、
現実はそんな甘くなかったです。
まず大前提として、5年間ニートして、
今さっき娑婆に出てきたばかりの
ダサい小デブのいうことを聞く女学生がどこにいるかって話ですよ。
で、案の定あんまり成果が出ないんですよね。(苦笑)
イマイチ集中して打ち込んでくれない。
「なんで、真面目にやってくれないんだよ」
「こちとら一生懸命、丁寧に教えているのに…」
今考えれば、相手は年頃の女の子、
まずはこちらの話を聞くような関係性を築くべきでした。
真面目なもともと上昇志向の高い男子学生とかなら、
丁寧に勉強だけを教えていればよかったのかもしれません。
その辺が当時の私はわかっていませんでした。
ですが、そんな結果が出ない家庭教師業をよそに、
外に出て、社会に参加することで、
以前よりずっと”気持ちが明るく”なったことを覚えています。
「はぁ〜お日様って気持ちいいなぁ〜」
「人と会話するって素晴らしいなぁ〜」
と出所した囚人ばりに娑婆の空気を満喫していました。
で、ここから段々と人生が上向いていくことになります。
ブラック企業との出会い|危機感の芽生え
家庭教師を1年くらい続けたあたりで、
地元の小さな会社のバイトをかけもちで始めました。
社員が10人くらいの小さな会社でした。
同僚に同年代の可愛い子とかいたので、
見た目にも気を使うようになり、
頑張ってダイエットに励んで、20KG痩せたりして、
それなりに充実し始めました。
ですが、そこの社長が強烈なワンマン社長で、
やたら声が大きく、エネルギッシュなんですが、
社員をまるでコマのように扱うんです。
派遣会社から、
中途採用の社員が入ってくるんですが、
「使えないやつ」と判断するやいなや、
パワハラ攻撃で追い出したりしていました。
怒鳴りつけたりして、
自主的に辞めさせる。
横で見ていて、非常に不愉快でした。
「あれ? 〇〇さんは?」
「あ〜、〇〇さんなら辞めたよ」
みたいな会話が毎月のようにありました。
ある年には、
6人ほど新卒の子が入ってきたんですが、
1年後には誰もいなくなりました。
ホントにひどい環境でした。
一方的になじられ、貶される。
力のない人間はこうも悲惨な扱いを受けるのか…
と現実を思い知りました。
しかも社員もそれを甘んじて享受している。
そのこともある意味、ぼくにとっては驚愕でした。
彼らはもう諦めているように見えました。
僕もときおり理不尽な叱責を受けたことはあったんですが、
まあバイトの身だったのでそこまでキツくはなかったです。
でも、こんなところで正社員としては
ゼッタイに働きたくないなと思いました。
社会の底辺を垣間見たような気がして、
「これはいよいよ本気出さないとマズイな…」と思うようになりました。
ニート生活でダルンダルンになった性根が引き締まっていくのを感じました。
自己投資|ハードルを下げるというコツ
同年代の社員がどんどん辞めていく中、
会社の殺伐とした雰囲気がいよいよ嫌になってきて、
3年ほど勤めた後に辞めました。
そのあと、つなぎとしてファミリーマートのバイトを始めました。
この辺あたりから、
すこしずつ意識が変わっていくんですね。
徐々に親の意向に沿うんじゃなくて、
自分の意思で動けるようになってきた感じ…。
「このままじゃアカン、悲惨な未来が待ってるぞ」と。
- 5年間、引きこもっていた
- まともな職歴がない、バイトしかしたことがない
- 現在27歳。
これは真面目に考えれば考えるほど、恐ろしい事実でした。
このヤバい事実を目の前にして、
一刻も早く、何か自己投資しなければと考え始めました。
プログラミング?
ウェブデザイン?
資格?
といろいろ考えた結果、思いついたのは「英語」でした。
英語さえ勉強すれば、
なにか仕事につながるんじゃないかと思ったわけです。
明るい未来がその先に待っている気がしました。
それに英語ならとりあえず間違い無いだろうみたいな、
安牌を狙った面もあります。
そこから私は、TOEICの勉強を始めました。
毎日30分ほど、「TOEICの公式問題集」と
「CNNニュースのテキスト」を勉強。
ファミマのバイトをやりつつ、
英語の勉強をする。
30分〜1時間のゆる〜い勉強をとにかく毎日続けました。
自分でもよく続いたなと思います。
大学受験の時となにが違ったかというと、
とことんハードルを下げたって点です。
「1日の勉強時間は1時間以内」と、
めちゃくちゃハードルを下げて、
しかも一番集中できる時間帯を英語の勉強にあてがいました。
一番集中できる時間帯とは、
自分の場合、「午前中」と「バイトが終わった直後」でした。
この時間が来たら、速攻でカフェに行って勉強しました。
そこが一番集中できる場所だからです。
コーヒー1杯300円は当時の自分にとってはなかなかの出費でしたが、
英語学習には「時間」「場所」「お金」のすべてのコストを掛けました。
すると3年経つ頃には、TOEICのスコアは600→810になっていました。
まあ正直なところ、誰でも3年もやれば、800点はいくんですが、
それでも大いに自信になりました。
そして、この成功体験が地味に今後の私の人生を変えていくことになりました。
すべては知識不足
なんで、自分が20代に全然上手くいかなかったのかというと、
「単純に知識不足だったから」と言うことに尽きると思います。
- 等身大の自分と向き合い、自分をコントロールする術
- 時間やお金の使い方
- 就職とは?お金を稼ぐとは何か?
- 人生を決めるのは学歴じゃ無いということ
これら全ての知識が欠落していました。
知っている世界が狭過ぎた。
ホントここに尽きると思います。
だから盲目的に「親の言っていることが正しい」と信じ込むしかなかったんだと思います。
ニート生活→家庭教師→ブラック企業→コンビニフリーター→TOEICの勉強
と経験を踏むにつれて、
私は自分の人生をコントロールする術を徐々に獲得していったように思います。
ここからは、「お金を稼ぐこと」についての話をしていこうと思います。
英語はできるけど、1円も稼げない
なんとかTOEICで高得点を取ることができた僕でしたが、
それでも全然不安は拭えませんでした。
全然未来が見えてこない。
「じゃあ、この先どうやってお金を稼いで生活するのか」
という最も重要な問題が解決していないからです。
「通訳になる?」「外資系に勤める?」
コミュ障&職歴なしの私がそんなキラキラした会社に入れる気がしませんでした。
「やっぱり自分で稼ぐしか無いんじゃね?…」
そう思った私は「ブログ」に挑戦します。
“TOEICハイスコア”という実績をアピールして、
ブログの広告収入を得ようと考えたんです。
半年間くらい続けたと思います。
当時は全く情報発信の知識がなく、
ただがむしゃらに英語の勉強法についての記事を書きまくりました。
ところが、30記事くらい書いたところで、
ネタが尽きてしまって、息切れし始めました。
「やばい、ネタが全然思い浮かばねぇ…」
「しかも、記事がなんか自分で読んでもあんまり面白くねぇ…」
「無理くり書きました感がにじみ出てるなぁ」
実は、この記事を書いている今まさに、
私はブログや情報発信について、
現在進行形で勉強しています。
有料教材も買って勉強しています。
なので、
「なぜ当時ネタが尽きたのか?」
「なぜ記事がつまらないか」
の理由が今ならわかります。
これもすべて知識です。
当時、ネタ切れであえいでいた私は、
唐突にファッション系の記事を書き始めます。
当時MBというファションブロガーのメルマガにハマっていたので、
MBが紹介する服や靴を実際に着てみて、紹介する記事なんかを書き始めました。
こうなるとただの雑記ブログ。
ジャンルがブレてしまって、
まったくSEO的にはダメダメです。
でも、MBの推奨する革靴を紹介したら、
なんとそれを自分のブログ経由で買ってくれた人がいたんですね。
3万円くらいの革靴でした。
けっこう嬉しかったですよ。
ところが、収益はたったの1000円…。
「3万円を買ってくれたのに、たったの1000円かよ…」
「ぐぬぬ…なんだ全然ブログって儲かんないじゃん」
その頃の私は
「アドセンスとアフィリエイトの違い」すらわかっていなかったのです。
ここでもやはり「知識不足」が原因で、
ブログ挑戦の道が絶たれてしまいました。
いや〜マジで知識不足って、罪深いですよ。
コンビニフリーター、カメラ転売に出会う
「やっぱり自分は人として能力が低い」
「お勉強はできても、逞しさや生活力がない」
「両親とも教師だから、お金を稼ぐ才能を持っていない」
そんな非生産的な考えが頭をぐるぐると回っていました。
そんなある日、父親にいらないフィルムカメラを
ヤフオクで売って欲しいと頼まれました。
父親は若い頃からカメラが好きで、
若き日の父親や母親、父の大学時代の写真なんかを
よくアルバムで見せてもらっていました。
でも、最近はもっぱらデジカメしか使っていないので、
そろそろ売ってしまおうと考えていたようでした。
当時、自分は中古オーディオにハマっていて、
それらをヤフオクで売り買いしてたので、ヤフオクの扱いには慣れていました。
なので、二つ返事でオッケーしました。
マミヤのC330とか、コンタックスのカールツァイスレンズプラナーとかだったと思います。
そしたら、なかなかいい値段で売れたんですよ。これが。(今考えると、めちゃくちゃ良いメンツです。手頃な価格でスペックが高い名品ばかりです)
でも当時は、
「なんでこんなカビくさいカメラが数万円で売れるんだ?」
みたいに思いました。
それで、興味本位で落札者の名前をネットで調べたんですよ。
するとその方は「カメラ転売」というビジネスをしており、
解説ブログもやっていました。
「なんだカメラ転売って?」
「これは…金の匂いがする..」
と思った私は、その人のブログを読み始めました。
めっちゃワクワクしましたね。
家族にはその日のうちに、
「なんかすごいビジネスがあるぞ」って熱弁したのを覚えています。(笑)
(思うんですけど、人間って見込みのあるビジネスを始めるときが一番幸せなんじゃないかって思います。新たな狩場を見つけたときみたいな快感が脳に刻まれているんでしょうかね?)
で、その人のメルマガ、ブログのほぼ全てのページを読んだんですが、
イマイチやり方がわからない。
そこで私は、思い切ってその人にメールで質問したんです。
ちなみに質問する前に、ebayにセラー登録して、
ヤフオクで、すでに3万円のデジカメを一つ落札していました。
我ながらこういう時の行動力だけはあると思います。
つまり、あとは売るだけという状態でした。
でもなんか利益が取れる気がしないんですよね。
相場とか見ると、買った値段とほぼ一緒でしたし…。
なので、すがりつくようにその人に質問しました。
するとなんと….
….
めっちゃ淡白なメールが帰ってきました。笑
界隈では有名な方だったので、
忙しかったのかもしれません。
思い切って質問したのに、わりとそっけない返事だったのでショックでした。笑
「なんか胡散臭さ増したなぁ」
「この人はアカンな…」
そう思った僕は、次に「ebayのカメラ輸出」をやってる関西の別の方に質問したんです。
その人はめっちゃいい人で、
丁寧に質問に答えてくれました。(この人にだいぶお世話になった)
- 大前提としてどれくらい資金が必要なのか?
- どのくらい並べればどれくらいのペースで売れるのか?
などをめちゃ正直に語ってくれました。
自分はクレジットの枠と、
なけなしの不用品を売った資金で
なんとか15個くらいのカメラを仕入れたと思います。
それを全部ebayに並べました。
すると何個目かに仕入れたNikonの50mmレンズが、
2500円くらいの利益を出して売れました。
すごく嬉しかったですね。
今までコンビニで時給880円で働いていたんですから。
3時間分の労働をたった1個のカメラで稼ぐことができる。
この破壊力、お分かりいただけるでしょうか?
その時やったことといえば、
「ホームセンターで白い板を買ってきて、
それをガムテープは貼っ付けて商品画像を撮った」くらいです。
それが2500円の利益を出しました。
「アレ?これはとんでもないチャンスを掴んだんじゃね?…」
「椅子に座ったままで稼げるとかホントだったんだ」
「あとはこれをどんどん洗練させていくだけだ」
そこからはまるでゲームにハマるように、
熱中していきました。
その後、数日も経たずに、
別のカメラで1個で9000円利益を出しました。
もう鼻血ブー!ですよ。笑
オリンパスのPen-FVっていう希少なモデルです。
「オイオイ、時給9000円かよ…」
もう、当時は楽しくて仕方なかったですよ。
まるで自分が映画の主人公にでもなった気分でした。
机にパソコンと、撮影ブースがあるだけで、
簡単に9000円を稼げるんですから。
そのあとは、順調に10万、13万円と収益が上がっていきました。(いや、正直言うと、途中で本当に自分は稼げるだろうかみたいなウダウダも若干あったりしたんですが.、今回そこは割愛します)
なんとか半年経つ頃には、融資を受けることができて、月収は35万円を超えました。
(融資の返済をしても、手元に31万円残る感じです)
その時にはもう、私の脳内には「会社に入って働く」という選択肢は一切消えていました。
「割りに合わなすぎるだろ。だったらカメラ、ポチって売るわって」(笑)
実際、2時間くらいパソコンの前で座って仕入れすれば、10個くらいカメラを仕入れられます。
1個当たり8000円の利益が取れますから、
それで8万円確保。
仕入れ作業だけで、週に2時間、月に8時間の作業で完了です。
あとは動作確認して撮影して、出品すれば完了です。
労働の価値観が崩壊…
なんとなく、こういう世界があるとは知っていました。
ブラック企業でバイトして、この社会の残酷さに触れるにつれ、
危機感を覚えた私はいろいろなビジネス書を読み漁っていました。
その中で、いろいろな起業家、個人事業主の話を読んだりしました。
なので、「会社に勤める以外の道」があることは、
一応知識としては知っていました。
でも、「まともな職歴もない、バイトしか経験していない自分がはたしてそれができるのか?」
「全然成果が出ないので、諦めてやっぱり会社勤めます」
みたいな展開も50%は想定していました。
そもそもカメラ転売を始めた時だって、ぶっちゃけ半信半疑でした。
「成功したらいいなぁ〜」くらいの気持ちだったと思います。
でも蓋を開けたら、
案外、すんなり行ってしまった。
カメラ転売を軌道に乗せた今ではこんなことが可能になっています。
- 昼過ぎに起きても無問題
- 人に全く会わなくても、収入が入ってくる
- 家から一歩も出ずに稼げる
- 夜は好きなだけ夜更かしできる
- 寝たい時に寝て、作業したいときに作業する
- もう会社に行かなくていいんだという開放感
- 平日はガラガラのお店で買い物したり、レジャーを楽しめる
- 毎日、外食オンリーですませることができる
- 疲れたらマッサージ店でリフレッシュ
- 万が一カメラ転売で稼げなくなっても、他の物販やれば成果出せるという圧倒的余裕
- 他のビジネスも絶対に成功させる自信
- ローンの支払いや、家賃の支払いに頭を悩ませることがなくなった
- 欠乏感がないので、頭が以前より良く回る、もやもやがなくなった
- 毎日がモチベーションに満ちており、小学生の時の”あの万能感”が戻った
- 何をやるにも積極的になった
- 押しが強くなって、声がデカくなった
ダメなパターンも50%想定していたということは、
50%は上手くいくような気がしてたんですよね。
というか途中で、もし会社員に戻っても、
いつか再チャレンジすればいいやと思っていました。
こういう話をするとき、
僕はいつもブラック企業に勤めていた時の昼休みを思い出すんです。
当時、僕は昼休みになると速攻で事務所から抜け出して、
コンビニでおにぎりとコーヒーを買ってきて、自分の車にこもって、ひたすら本を読んでいました。
大体30分くらいの時間だったと思います。
内容は、ホリエモンとか実業家の本ですね。
とにかく明るい未来を感じさせる本を読んでいました。
「今いる環境がすべてじゃないはずだ、きっと自分はここを抜け出せる!」
と言い聞かせるように読んでいたのを思い出します。
いや〜マジでここまで来るのしんどかったなぁ〜。
32歳、今になって思うこと|知識>努力
ここまで読んでくださった方なら、たぶんお分かりいただけたと思うんですが、
私が人生の壁にぶち当たるのは、いつも知識が不足していた時でした。
思えば、幼少期〜学生時代の私は、親や教師に強制されたことをイヤイヤやっているだけでした。
人間って自分が望まないことに関しては決して長続きしません。
これは断言できます。
考えてみれば、これは生物として当然の”つくり”なんです。
でも、当時の自分は
「なんて自分には継続力がないんだ!根性がないんだ!自制心がないんだ!」
と無駄に自己肯定感を下げていました。
こう考えることは「じゃあもっと自分を締め上げて、より一層努力しないとダメなんだ」という”強迫観念”につながってしまいます。
「人より怠けるし、地道な努力ができない自分はもっとガムシャラに打ち込まないと結果がでない」と考えるようになります。
するとより視野が狭くなっていく…
負のスパイラルに落ち込んでいきます。
でも、起業して、ある程度の成果を出せるようになって強く思うのは、
本当に必要なのは努力じゃなく、正しい知識です。
成人したらほとんどの人は、自分のために行動し始めます。
その頃には、もはや親は「あーしろ、こーしろ」とは言わないからです。
つまり、自分が望む行動だけを取れるようになるわけです。
もし、成人しても「自分には継続力がない、行動が伴わない」と思っている人がいるとしたら、その行動は誰かに押し付けられたものであるかもしれません。
つまり、継続力に関しては難しく考える必要はないんです。
本当に必要になるのは、「柔軟性」です。
自分の価値観にそぐわない情報を柔軟に取り入れる姿勢です。
例えば、
私がブログに挑戦した時に、すでにネット上にはいくらでも
「アドセンスはあまり儲からない、アフィリエイトをやるべき」
という情報は転がっていたはずです。
でも私は「記事をひたすら書く努力さえすれば大丈夫」と信じて疑わなかった。
(受験から何も学んでいない。苦笑)
つまり新しい知見に耳を傾ける柔軟性がなかったわけです。
結果として、だいぶ私は遠回りをしたと思います。
背中を見せれるように…
- 中学時代のいじめ
- 高校時代の屈辱
- ニート時代の情けなさ
- ブラック企業での危機感
これら全てが今の僕を支えており、教訓を与えてくれました。
20代が悲惨だった分、いろいろなことに躊躇せずに挑戦していくつもりです。(笑)
今こうやって書いているブログも挑戦の一つです。
僕は月収100万円とか派手な実績は持っていないので、
その分背中を見せる必要があると思っています。
今後もコンスタントに、カメラ転売の魅力と有用性について、
アップしていきますので、ぜひチェックしていただけたらと思います。
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ちょっと長くなってしまったので、いきなりですが
この辺で終了します。
ここまで読んできただきありがとうございました。
ここまで読んだいただけるのは、
このページに訪れた人のうちの数パーセントだと思います。(笑)
本当にありがとうございます。
以下に現在僕が展開しているメディアのリンクをまとめておきます。
カメラ転売に限らず、いろいろなビジネスの考え方をまとめているので、
きっとお役に立てると思います。
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